今日からKUROHUNEピッチ本番までの間に、登壇者の方の何名かをインタビューで紹介していきたいと思います。

3.31当日にどんなことが起こるのか・・・?

それを事前に少し体感してもらえればと思います。

 

インタビュー第1弾としては、シンガポールで起業準備中の米岡さんにご登場頂きました。

 

米岡さんは非常に面白い経歴の持ち主。そして、いままさに異国の地で新しく会社を作ろうとされているとのこと。まさに今回のKUROHUNEピッチにうってつけの方。当日はKUROHUNEで200秒のピッチと全登壇者参加型のパネルディスカッションに登場します。

 

まず、米岡さんのその「非常に面白い経歴」を少し紹介したいと思います。

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米岡さんは津田塾の英文科を卒業され、まずITベンチャーに就職しました。まずここからかなりのレアキャラです。同級生の間での人気職業と言えば、やはりいわゆる花形、CAやアナウンサー。現実的なところとしては、商社、銀行、そして法律関係の事務所など。そんな中、ITベンチャーへと飛び込んだとのこと。そしたらつかの間、ITバブルが弾けて、当のベンチャー企業が傾き出した。

 

そこで、兼ねてから興味のあったファイナンスの世界へ。CPAを猛勉強し、続いての職は不動産ファイナンスの会社。REITなど投資アナリストを経験し、マネージャーまで昇進。意気揚々かと思いきや、今度はご存知サブプライムローン、リーマンショックで不動産系は軒並みノックアウト。続いての職は企業再生などをファイナンス面から支えるリストラクチャリング業務をKPMGにて行ったとのこと。

 

もうここまで聞いただけでも、相当レアな経歴と思うのですが、そこからさらに米岡さんは行動に出ます。2010年12月のことです。フランス系ビジネススクールのInseadに見事合格。そのシンガポール校へ入学します。

その際、KPMGは辞めての入学。シンガポールへ移住です。

 

もう1回言いましょうか。働きながら貯めたお金で、そして働きながら勉強し合格したビジネススクールへ、会社を辞めて入学です。そして2011年の12月見事MBAを卒業し、さあ次なる舞台は・・・!と意気込んだのが2012年。

不動産、KPMGと長くファイナンス系の職についていたことから、MBA卒業後は同じくファイナンス関係の仕事につこうと思ってたとのこと。

ここでまた困難に直面します。MBAを卒業したものの、ここ1、2年は苛烈競争のシンガポールファイナンスセクター。なかなか思うような職が見つからない。

様々な道を摸索する中、Pecha Kucha Nightというイベントのシンガポールを取り仕切る活動などを始める。

https://www.facebook.com/pages/Pecha-Kucha-Singapore/385292798178714

 

2012年を振り返って、米岡さんは2つのキーワードを仰ってました。

「2012年はソウルサーチであり、アイデンティティクライシスだった、と」

つまり、ファイナンスの世界で磨き上げて来た自分、そしてMBA。でありながら、なかなかに分厚い世界の壁。

自分はなんだったのか、と考えに更けた時期もあったとか。

 

様々な可能性を摸索して行く中、やはり「自らの力でやってみたい」という思いを強め、2012年12月に起業を決意。

いま、まさに会社設立に向けて最終局面にさしかかっているとのこと・・

 

私は米岡さんに3つの質問をぶつけてみました。

1 そもそもなぜ、最初にITベンチャーに入ったのか? 何が米岡さんをそうさせたのか?

2 今までで一番不安な時期はいつですか? 一方、一番楽しい時期はいつですか?

3 シンガポールに永住しますか?

 

1 そもそもなぜ、最初にITベンチャーに入ったのか? 何が米岡さんをそうさせたのか?

1の答えはこうだった。

 

やっぱり、20歳の時に留学したアメリカでの経験が大きいとのこと。

1年4ヶ月という留学、そこには人生を変える大きな体験があった。

津田塾大学です。日本でも有名は語学が得意な大学。学生のほぼ全てが4年間の間に長い短いはあれ、留学をするそうです。

20歳での留学は、同期の中ではタイミングとしては平均的だったとのこと。とはいえ、米岡さんにとって、アメリカは初めて行く国。そしてその時は実家から大学に通っており、留学すれば初めての1人暮らしでもあった。

若干20歳の米岡さんにとっては、とてつもなく大きな決断だったとのこと。

 

また、大学へは実家から2時間近くかかることもあって、父親に何度も一人暮らしをしたいと、大学入学後頼み込んだらしいのですが、にべもなく反対されていたそうです。そうしたタイミングの中、父親に留学の意志を伝えました。

 

「和希の為になるだろうから」

 

そんな頑固な父が発してくれた一言。米岡さんには意外な応援のメッセージ。そこから留学へ向けて、必死の努力が始まりました。大学側は情報は提供しれくれるものの、具体的な手続は自分で調べて行うしかなく、タイプライターで清書した願書や、寮を借りるためのやり取り等、全てが初めて尽くし、苦労の連続だったとのこと。

 

留学に行くまでに、米岡さんは大学1年生の時にフランスにいた姉を訪れたこと、そして中国と香港に小旅行をしたことの合計3回しか海外に行った経験はありませんでした。海外経験という意味では普通の大学生なのかなと思います。

 

そこからアメリカへ留学。

そして、考えが甘かったことを痛感したそうです。

授業の英語が全く分からない。隣の親切なアメリカ人がノートをコピーさせてくれなかったら、もうやって行けなかったかもしれないとのこと。

留学も3ヶ月もすれべ英語に慣れて来るだろうと思っていたそうですが、半年経ってもなかなかその苦労はなくならず、当時は少し焦って、ベッドで泣いた事もあったそうです。

しかし、持ち前の頑張りでそこから英語を難なくこなし、アメリカという異文化を理解し楽しめる状態にまで進化していったそうです。

 

この1年4ヶ月での強烈な経験から、やはりいつか世界を相手にする仕事をしたい。世界を助けられるようなビジネスをしたい、と思うようになったとのこと。

 

大学生活で3回という海外旅行経験の普通の女子大生が、アメリカに留学へ行くという勇気によって、変わったターニングポイントなのではないでしょうか?

 

2 今までで一番不安な時期はいつですか? 一方、一番楽しい時期はいつですか?

 

一番不安なのはITバブルが弾けて、働いていたITベンチャーが傾き、無職の状態になってしまった時だと米岡さんは答えました。

実は、その数ヶ月前、初めて一人暮らしを始めたばかりだったとのこと。ここでのこのこ実家には帰れない!

その一方、銀行や商社に行った同期は、バブルなど関係なく、意気揚々と働いていたとの事。

社会人経験も浅く、このまま自分はどうなるのだろう・・・ その不安と戦いながらファイナンスの勉強をしていたそうです。

 

では、一番楽しいのはいつかという質問には、「今です」という力強い答えが帰って来ました。

去年(2012年)はソウルサーチしてましたけど、起業すると決めたら心が晴れやか。今はもう新しいビジネスのアイデアを考えているだけで、ワクワクします。と快活に笑って答えてくれました。

 

そこで私は少し意地悪な投げかけを。

一番辛かった時、一番ワクワクしている今。共通しているのって、どっちも「無職」の状態ですね、と。

 

ハッとした米岡さんは、それでも今の自分はこれまで積み重ねたものがあるから、と笑われました。

 

3 シンガポールに(海外に)永住しますか?

 

最後の質問。少し意外な答えでした。私には。10年後までには日本に帰りたい。日本に帰り、日本の役に立つ仕事を日本でしたい。それが米岡さんの答えでした。

やっぱり日本が好きだから。それが理由とのこと。

 

こんな米岡さんが3.31。KUROHUNEピッチのために東京に凱旋登壇してくれます。

初めて海外に行ったのは20歳の時。

英文科からITベンチャー、ファイナンス、そして会社を辞めてシンガポールに留学。その後様々なことを摸索した後、そのままシンガポールでの起業を決意する。

それまで普通の女子大生だった米岡さんは、その後様々な局面で、「勇気ある行動」を取って来たが故に今があるのだと思いました。

今の自分に対する自信から来る笑顔が素敵な米岡さん。3.31での登壇が楽しみです。

 

米岡さんに会いたい方。

米岡さんのピッチを聞いてみたい方。

是非、3月31日のKUROHUNEピッチまでご来場下さい。

詳しくはこちらから

http://kurohunepitch.com/

インタビュワー:Diixi CEO and Founder 小林慎和